「どちらでもない」もしくは「無回答」
May 31, 2026
自分の性別について回答しないといけない時、私は素直に「女性」を選べない。性自認は明らかに女性なのに。
※このエッセイのもとになった文章は、2024年に書きました。残念ながら、当時の文章は現存しません。
「女性性」やジェンダーをテーマにしたエッセイ集を作るにあたり、当時の記憶を辿りながら、改めて同じ題のエッセイを、現在の自分の視点で書き下ろしました。
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何かの会員登録とかアンケートで、性別を回答しないといけない場面がある。
その時、「男性」「女性」の他に、「どちらでもない」もしくは「無回答」という選択肢がある場合、私は「女性」ではなくそれらを選ぶ。
理由はわからない。
だって、私の性自認は「女性」で、自分の性別に違和感を持ったことは一度もないから。
だけど、「女性」と回答することに抵抗があるのはなぜだろう。
私は「女性」作家として、「性」や「恋愛」を描く作品を描き続けてきた。
「現代女性のリアルを描く」
そういうポジションを求められていたことは、担当編集者の指導や、読者の反応で、なんとなくわかっていた。
だけど、私はそれがずっと居心地悪かったし、息苦しかった。
だって、自分のことを「現代女性」の当事者だと思ったことがないから。むしろ、そうなれないコンプレックスを抱え続けて生きてきた。
「女性」として生まれ、「女性」であることに違和感もなく生きてきたのに、「女性」たちの言ってることに共感できず、「女性」たちの創った創ったもの を、長年理解できずにいたのだ。
私が「性」や「恋愛」に関するものを描いてきたのは、「嘘をつかずに描けるもの」が、それしかなかったからだ。
ものかきとして、虚飾に塗れた上部だけの物語を創りたくない。自分の実感に基づいたものを創りたい。
「女性」に生まれて、「女性」として生きてきたんだから、そのことを描くしかない。
憧れた世界や、影響を受けたものは色々あった。
だけど、未熟なまま創作の世界に飛び込んでしまった私には、そういう身近な題材を作品にすることしかできなかったのだ。
そういう自分に、クリエイターとしてのコンプレックスがあったから、「女性」という枠で見られることに反発した。
今となっては、そうかもしれない。
だけど、「当事者でありながら、当事者性を持つことができない苦しさ」
これは、今も昔も変わっていない。
私は、そこにずっと折り合いをつけたかった。
「女性」として馴染むことができるようないなれば、「作家」としての立場も安定するのではないか。
そんなことを考えていた。
「所属する場所がある」という安心感は、何ものにも代え難く、その安心感が与えてくれる力には、ものすごいエネルギーがあることもわかっている。
私も、その力がほしかった。
だけど、曖昧な存在でいたっていいのかもしれない。
だって私は、その不安が創作の糧になっていたから。そして、物語の役割って、そういう「見えにくい」ものを可視化して、肯定す ることではなかろうか。
私は、言葉と漫画が操れる。
それらを使って、知らない人たちに、何かを伝えることができる。
それが、作家がこの社会に存在する役割だと思っている。
だから、しばらくこのままでいいよね。
「どちらでもない」もしくは「無回答」の曖昧な存在として、社会に存在してたって。
私は「私」でしかないんだから。
(2026年5月31日 記)