ねごと。vol.1「白い壁」
May 6, 2026
季刊『ねごと。』で連載しているエッセイシリーズ
「自分は、『ひと』と違うレンズで世の中を見ている。」
そんなことは、漫画を描くまで思いもしなかった。
ただ、なんとなく話が通じない感覚はあった。
「私は特別」
そんな話をしたいんじゃなくて、みんな当たり前に考えている、感じていると思っていたことが、全然「当たり前」じゃなかったことがショックだった。
私は自分の「実感」を正直に描いていた。
ところがそれが、「特殊」だと思われたのだ。
私は「人と違うものを描いて、みんなを驚かしてやろう」とか、そんなことは考えていない。けど、私の「視点」がひとと違っているなら、それを人たちに橋渡しする手段として漫画を描きたい。
そう思ってずっとやってきた。
でも、漫画を描いたってわからない人はいる。
それは、私の未熟さだけの問題ではない気がする。
ひとたちが思う「漫画」と、私の思う「漫画」が違っているのかもしれない。
「使う言葉が変われば、考え方・感じ方が変わる。」
私はそう思っている。
漫画は私にとって、もうひとつの言語。
漫画で描いたものは、他の形に翻訳できない。
思考とイメージの断片が先にあって、そこから作品が生まれる。
だから、プロットなんて書けないし、「キャラクター」なんて作れない。
私の漫画に出てくる人たちは、「誰でもない」人たち。
彼らに名前をつけるのが苦手だ。
「人間」を描いてはいるけれど、漫画のキャラクターを描くのは本当に苦手。
私は、自分の実感しか描けない。
嘘を作る能力がない。
誰かの気持ちの代弁もできない。
だけど、私は「特別」な人間ではないと思う。
私と同じ景色を見ているけれど、それを他人と共有する「言語」を持っていない。だから、「そんなものは存在しない」ということにしている。「見える」と言ったら、色々面倒くさいから。
そういう人が、たくさんいると思っている。
そもそも、見えてない人へ、その景色の存在を証明するために描いていた。だも今は、「見えてるけど、他人と共有できない苦しさ」を抱えている人に、作品が見つかればいいな。と思う。
ただの「白い壁」に、確かに存在する小さな傷を、ひとたちに証明するための「言語」として、私の漫画が広がればいいな。
そんなことを、いつも寝る前に考えている。
創刊号には、そんな思いを込めました。
じゃあ、おやすみ。またいつか。
我妻ひかり(2026/05/06)