#ぴろーとーく。『近影』と『鏡像』
August 6, 2025
2025年から描いているポートレートシリーズについて。
「なんか、最近あづま絵変わったくない?」
初期の頃からあづまを知ってくれてる人は、今の絵を見てそう思うかもしれません。
(思ってなかったら私の自意識過剰です。すみません…)
とにかく、自分の中では明確に変わりました。
でも、それは「作風を変えた」というわけではなくて、「描けることが増えた」「表現方法が多様になった」という感覚です。
描きたいこと、表現したいことは、一貫して変わってないと思います。
『近影』が世界観がちがちのファッションイラストで、

『鏡像』が自撮りを元にした自画像に近い作品

なのは、我ながらおもしろいです。
私は漫画を描き始めた最初期の頃から、ずっと「自分が今ここに存在している」ことを、何とか別の形として残せないか。
と考えてきました。
感情、空気、違和感。
全部どうやったら伝わるのか、ずっと考えていました。
自分語り。ナルシシズム。かまってちゃん。
色んな解釈がされそうですが、違うとも言い切れないし、実際そうなのかもしれません。
だって、自分のことしか作品にしてないんだから。
けれども、エッセイとも言えないし、自伝とも言えない。
受け手も解釈が難しいと思います。あづま自身、自分の作品がどういう文脈で語られるべきものなのかわからないから。
けれど、何となく編集者とか読者の、私に対するラベリングは、なんかちょっと納得できないでいました。
私は、生まれてからずっと、アイデンティティのズレに悩まされてきました。
自分の中でも自分がわからないし、他人から見た「あなたってこういう人じゃない?」というのも、何かしっくりこない。
で、どんどん意識が内にこもってしまっていたけど、
最近それを別の方法で表すことを覚えました。
それが「デコる」ということです。
「デコる」「装飾する」「世界観を明確にして、そのコンセプトの中で表現する」
そっちの方が、今までの不安定で内省的な描き方よりも、エグいところまで突っ込んで描けることに気づいたのです。
「ギャル」たちも、要はコンセプチュアルアートですから。
反骨とDIYの精神を、ファッションで表現するという文化ですから。
平成一桁生まれなので、ギャル文化を通ってきた人間だけど、当時はわからなかったこの精神が、今はわかるようになりました。
『鏡像』で自分を外から観察しつつ、『近影』で自分の内面を深掘りする。
毎月、どんなふうに変わっていくのか、自分でも楽しみです。
今日のぴろーとーく。でした。
次回はデコ文字の話しようかな。
あづま