『ただ、そんだけ。』で描きたかったこと。
2026年5月31日
『それでも死ななかった。』巻末収録の解説を再構成しました。
※自主作品集『それでも死ななかった。』の巻末収録用に書いた解説文を再構成しました。
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あづまは、2021年にべっどるーむ。を創りました。当時は、自分の作品を自由に掲載するためのサイトでした。
サイトは作ったものの、商業での道も諦めていなかったあづまは、投稿先を探していました。
そして、第3回トーチ漫画賞に応募してみることに決めたのです。トーチはジャンル不問で色んな漫画が載っているし、「ここでまで、女の子がかわいくなくてどうこう言われやしないだろう」と思ってのことでした。
この頃のあづまは、自分が「性表現のある作品」を作っている側の人間として、どういう社会的な責任を果たすべきか。ということを考えていました。
「性表現のある作品」と言ったって、あづまの作るものは、いわゆる「性的な興奮を煽る」目的で描いたものではありません。でも、「エロ」を感じてもらえることは嬉しい。作品に対して、「エロい」という感想は、実は一番嬉しかったりする。だって、創作の根源にあるのは「性欲」だから。
だから、「エロさ」を感じ取ってもらえることは、素直に嬉しかったのです。
でも、一方で自分の作品を「性的なコンテンツ」として消費されることには、違和感がありました。
「女の子をエロく」とか「かわいく」とか指示されることには、虫唾が走る。セックスと「痛い恋愛」を描きたい作家だという理解のされ方にもうんざりする。
この矛盾はなんなのか。
私はこれから何をどう描いていくべきなのか。
そういう自問自答を、毎日繰り返していたのです。
で、その繰り返しの中で、行き着いた答えが、
「そういう作品が好きだから描くんだ」
という、とてもとてもシンプルなものでした。
性的なことを描くことで起こるさまざまな問題や、自分や社会への影響も承知している。
それを無視するつもりもない。でも、それでも私が描くのは、純粋な創作意欲でしかない。
これをやらないと生きていけない。
だけど、そんな単純な話でもないから苦しいし、社会はそうは受け取らない。
そういう思いを込めて描いたのが、この『ただ、そんだけ。』という漫画でした。
私的には、その時の抱えきれずに死んでしまいそうな、内面のぐちゃぐちゃを吐き出して、作品にまとめることができたので、お気に入りというか、記念碑的な作品です。
だったのですが、公開されている審査評は、明らかな内容の誤読であり、私の意図とは全く違う解釈のされ方をしていました。
主人公のテンコちゃんは、「承認欲求をこじらせて満たされない、無軌道な現代の若者」「性的に消費される対象であることを自覚し、その立場を利用していながら、それを認めることができない」そういう人物像であるという解釈をされていたと思います。
当時の私は、「クリエイター側がわからないなら、編集者や読者がわかるわけないやん」と絶望していました。(「絶望」という言葉が控えめに感じられるくらい、精神的に参っていました・・・)
でも、審査の場でも、私がこの作品で描いていることと同じような ことが起こったのは、なかなか興味深いな。と思います。
「漫画の中の人間は、みんな本音でしか話さない」という前提で読まれていますが(「描く側」である審査員でさえそう思っているんだからなぁ)、テンコちゃんは言わないだけで、内に燃え盛る怒りの感情を抱えているし、発言や態度には、皮肉や批判が込められています。
それは、現実の「私」我妻ひかりの社会への「態度」どもあります。怒り怒りを抱えながらも、社会を渡っていく術として、自然に身に付いたものです。
それを素直にそのまま作品にしたから、審査の場でも、私が社会から浴び続けてきた「視線」が再現された。
そう思えば、この作品はある意味「成功」だったのでしょうか・・・?
ちなみに、父はここの作品を「サリンジャーだ」と言いました。
サリンジ ャー、読んでません。ごめんなさい。
不出来な娘です。
(2026年5月31日 記)