女の子を"woman"と訳されて。
2026年5月29日
「女の子」という「」つきの言葉をwoman と翻訳されたことから考えたあれこれ。
初めましてあづまです。
私は今まで「性」に関することを作品にしてきました。
女の子である自分のことが大好きだけど、「女の子」であることに苦しめられてもきました。
漫画を描くということを見つけてから、私は少しだけ救われました。
でも、漫画を描かない人はどうするんでしょうか…?
私と同じようなことを考えたことがある人も、そうじゃない人も、この作品を読んで少し心が動かされたらとても嬉しく思います。
この文章は、2025年8月にヤングマガジンの北米版増刊号に『この恋は変ですか?(英題:Is My Love Strange?)』という作品で参加させてもらった時に、著者コメントとして提出したものだ。誌面には、この原文を英訳したものが掲載された。
日本版のWebページでは、原文(日本語)も英訳も読むことができない。
「現地の読者は、日本の読者より「作家」に興味を持つ。」とのことで、著者紹介のページが設けられたのだ。
私自身は、「作家」に興味を持つタイプなので、その意図に大変共感し、コメントは作品と同じくらい真剣に考えた。
日本では見過ごされがちな、私の「作家」としての創作の姿勢、思いを知ってもらえる貴重な機会だから。
英訳は、出版社にお任せして、私は翻訳のチェックをすることもなかった。(「してください」と言われても、私の拙い英語力では無理なのだけど)
そして、できあがった雑誌に掲載された英文では、原文の「女の子」がこう訳されていた。
「woman」
私は、文章を書く時に「」を多用する。それは、ここまで読んでもらってもわかると思う。
一般的に使われている意味とは、違う意味で言葉を使いたい時に、「」を使うようにしているのだ。読み手に、少し立ち止まって引っかかりを感じてもらうための工夫だ。
「」付きで「女の子」と表記しているのには、ちゃんと意味がある。
単に、性別としての「女性」という意味だけで、「女の子」という言葉を選んだわけではなかった。
日本語の「女の子」という言葉には、色んな意味が含まれると思っている。
文化的な意味。社会的な位置付け。
性的な消費の視線。
「運命共同体」的な連帯のための旗印。
「脆くも美しく、時には毒も含んでいる」存在という、カルチャー的な記号。
そういう、単に生物としての「性別」だけに収まらない言葉だと思っている。
で、私はその「当事者」として生まれながら、そういうものに苦手意識があった。
「そこにどうやって折り合いをつけていくのか」
そういうことが、創作の動機の根源にある。
それをこの作品では、あえてわかりやすい「kawaii」文化を意識した表現で描いてみたかったのだ。
私は英語ネイティブじゃない。日本語しか使いこなせない。
だから、日本語の「女の子」に相当する言葉は、英語に存在するのかはわからない。
だけど、「woman」という訳には違和感がある。
この違和感は正しいものなのか、それとも私の勉強不足、英語力の限界によるものなのだろうか・・・。
どちらにせよ、翻訳者、担当編集者、そして何より現地読者に、私のメッセージが正しく伝わっていたのか。
そのことが、今でも気になっている。
そういう言語化不能な概念を共有するための手段として、「漫画」というものがあるのだけど。
どう描けば伝わるんだろうか。
「女の子」という呪縛に囚われて生きていくことの、説明し難い息苦しさについて。
そんなことを、日々考えている。
2026/05/29