私はかわいくありません。004
2026年8月21日
「クールな彼女」という幻想。
なんか「フリフレ」って言葉よく見かけますね。
「フリーフレンド」の略。ようは「友達以上恋人未満、束縛はなしだけど肉体関係はある。」ということなんだろうと思ってますけど、その解釈であってますかね。
まあ、今この「フリフレ」って言葉が定着する前から、一生言われてる「都合のいい関係」ってやつですが。私的には、そういうのって「恋愛を知らない人のファンタジー」だと思ってます。「恋愛を知らない」っていうのは、またちょっと雑なまとめ方かもしれないな・・・。とにかく、そんな都合のいい人間は、空想上の生き物だと思っています。
夢とか理想としてそういう憧れを持つのはいいかもしれないけど、実際その関係が「成立してる」んだとしたら、それはどちらかの我慢か譲歩の上に成り立ってるか、単なる思い込み、もしくは臆病さの隠れ蓑になっている。
私はそう思ってるんですが、実際どうなんですかね。
さっき「恋愛を知らない人」のファンタジーと書きましたけど、それって別に、いわゆる「もてない人」「恋愛経験が少ない」とされる人のことを言ってるんじゃないです。
むしろ、性的なこととか、「それなりに色々経験してきた」という自認のある人ほど、そういうファンタジーを「実在のもの」として信じているように見えます。
そういうのが、「かっこよくて」「自立した」「大人の」関係。
そう思ってる人が多い気がする。
まあ、「私の知ってる範囲では」の話ですけど。
で、私は別にそういうのを「かっこいい」なんて思わないです。
泥臭く、ぐちゃぐちゃのどろどろになりながら、色んな感情に振り回されて、関係を構築していくこと。
それを面倒なことだとも、かっこ悪いとも思わない。だって、他人と関係を構築するっ てそういうもんだし。お互い自分の精神と、もしかしたら肉体も預けるかもしれないんだから。
汚いところを知ってからが、本番じゃないですか。とにかく、私はもう、そういうところで嘘をつくことが馬鹿馬鹿しくなりました。
「生物として不自然な形のもの」がクールだとされているけど、本当歪な価値観だなと思います。
で、そういう価値観へのカウンターとして『ゴーン・ガール』という映画(原作は未読です。すみません。)があったと思うのですが、エイミーが「サイコパスだ」みたいな感想が多くて悲しかったな。そこまで極端に描かないと伝わらないものがあるから、そういう過激な表現になってるだけなのに。「物語」にすることの意味って、そういうところにあると思ってる。
『ゴーン・ガール』が2014年。それで特に、何かが変わったという実感はなくて、今年『オブセッション 災愛』という映画が公開されました。
邦題の「災」は誰にとっての「災」なのか・・・。
とにかく、私はもう「そういうところ」から降りたいです。
「かっこいい女」「強い女」「クールな彼女」「おもしれー女」(笑)
女性の自立を肯定しているかのようなこれらの言葉たち。
いや、「おもしれー女」は違うか。笑
でも、それらの言葉が表すような女性像は、誰目線で作られたものなのか。
という疑問が、私の中には常にあります。
もちろん、いろんな意味・いろんな価値観が含まれる言葉だとは思うけど。
女性自身が、自分を指して使う場合もあるし。
私ですか?
それは、私の作品から読み取ってください。
私が今まで何を描いてきたのか、知ってくれてる人たちにはわかりますよね。
2026/08/21