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第7回「性的な話描いてる作家には、性的な話題OKなの?」

2026年2月15日

※この文章は、センシティブな題材を扱う作家と、編集者や商業漫画誌が、どのように関わるべきか。現状、どういうところに問題があるのか。ということを整理するために書きました。
特定の個人・編集部を、批判・告発する意図はありません。

※この文章は、センシティブな題材を扱う作家と、編集者や商業漫画誌が、どのように関わるべきか。現状、どういうところに問題があるのか。ということを整理するために書きました。

特定の個人・編集部を、批判・告発する意図はありません。


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まず、今回のテーマについて、結論から言うと「NO」です。

「作品理解」「打ち合わせ」という名目で、作家の個人的な経験について、境界を踏み越えた発言・詮索をするのも、作品で描かれていることを作家の人格と結びつけて語ることも、性的なジョークや「いじり」をすることも、全部アウトです。


はっきり書いちゃったので、ここで終わってもいいのだけど、そもそもなぜ私がこのようなことを書こうと思ったのかについて、お話ししようと思います。


私は今まで、作家として他人と関わる場で、先に挙げたような扱いを受けて苦しんできました。

で、それらのことは恐らく、私が「性的な」テーマを扱っていなかったら起きなかったであろうことで、相手に「悪気」はなかったであろう。ということです。

他の職業であれば、普通に「セクハラ」として問題視されるべきことが、なぜ創作やアートの文脈では「OK」だと思われてしまうのか。

そのことについて、考えてみようと思います。


まず、私は「性的なコンテンツ=悪」という考えは持っていません。

今後も性を扱った作品を描くと思います。といっても、今は直接的な性描写や、性的興奮を煽るようなものに対する興味は薄れているのですが・・・。

で、話を戻すと、作家自身が自分を題材にしていたとしても、それは「表現」であって、「ネタとして他人から人生を消費されることを許している」わけではないと思うのです。

少なくとも、あづまは違います。

「私生活を切り売りしている」という意識は一切ありません。


でも、自分の経験をもとにして作品を描いていることは事実です。

ここが誤解されやすい部分なのですが、私は「漫画」という媒体を使って、「作品」として表現しています。

ただ、自分の話を聞いてほしいだけ、体験談を話したいだけなら、こういう面倒な翻訳作業はしません。

物語の形にして発表している時点で、それは「世に伝えるべきこと」として、私の手から離れています。

たくさんの人が読むこと、社会の目や影響を意識して、「外へ出しても大丈夫」な形で発表しているのです。

経験したことを元に、考えたこと、伝えたいこと、感じてほしいことがあるから作品にしています。


で、ここで考えないといけないのが、「編集者や読者は、私が何を体験したのか、その具体的なエピソードを知る必要があるのか?」ということです。

あづまは、ここでつまずいてきました。

今まで何度も。


まず、「作家へ個人的な質問をすることについて、どこまでがOKでどこからがアウトなのか。」

これは、明確なガイドラインを作って、線引きをしない限り、個人の裁量で判断することは不可能です。

編集者はカウンセラーではありません。センシティブな題材を扱っている作家に対する心理的ケア、配慮、そういったものは、仕事として個人で抱え切れるものではありません。

にも関わらず、恐らくそういったガイドラインは存在しないと思います。

少なくとも、私が今まで関わった編集者、編集部では、そういうものがあったとは思えません。

打ち合わせは、ほぼ電話で、密室のやり取りになりがちでした。

これは、私が地方に住んでいるので仕方ない部分でもありますが、対面で打ち合わせをした場合でも、あまり状況は変わらなかったと思います。

会話ベースの打ち合わせで、「作品のこと」として、個人的な体験についての質問に受け答えしないといけません。心理的な負荷は大きいです。どこからが「作品」の話で、どこからが「雑談」なのか、その線引きも曖昧です。

そういう状況の積み重ねで、精神的に辛くなったしまったことを伝えると、編集者たちはみな「作品づくりに必要だと思ったから聞いていた。あなた個人に興味があったわけではない」という回答でした。

恐らく、私からそういう話が出ること自体、想定していなかったのだと思います。

でもこれは、彼ら個人の問題ではなく、今までそれで仕事がまかり通ってきたからではないでしょうか。


作家は作品のために、自己開示することの負荷に耐える必要がある。そして、編集者は「作品のため」なら、作家の個人的な場所へ触れることが許される。

もしかしたら、そういう作品こそ「名作」とされてきたのかもしれない。


でも、そういうことに耐えるしか、センシティブな題材を扱ってる作家が、商業誌で仕事をする方法はないのでしょうか?


ある編集者に、こう言われました。

「精神的に耐えられないなら、自分のことを作品にすること、商業で描くことについて考え直した方がいい。」

これは、業界の構造の問題を、作家の精神の脆弱性にすり替えて、「自己責任」ということにしているだけではないでしょうか。

もっと、業界全体の問題として、考えるべきことだと思います。


現状、商業漫画誌の現場で、この問題は解決していないと思います。私の体感ではそう感じます。

そもそも、業界内で、私がここに書いたようなことが問題視されているかどうかもわかりません。

「表現の自由」という言葉を盾に、作家も編集者も考えるべきところから目を背け続けていいのでしょうか。

私は今のところ、その解決方法がわかりません。

だから、しばらく自分で本を作るしかないのです。

作品と、作家としての主権を、自分に取り戻すためです。


私は伝えたいことがあるから、作品を発表しています。

作品を発表する方法は、たくさんあります。

でも、本来あるはずの選択肢が、自分を守るために「選べない」状況になってしまいました。

今後、解決の道は見つかるのでしょうか・・・。


といったところで、今回はこの辺で。

次回は、自分で紙の本を作って売ることについて書こうと思います。


では、また次回。

よき時に。

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© 我妻ひかり
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