#ぴろーとーく。『それでも死ななかった。』
2026年3月20日
作品集の編集後、作家として思っていることを書きました。
やっとこの作品集の編集が終わった。
「2018年から2025年に間に描いた、今までのアーカイブ全集を作ろう。」
なんて、よくこんな面倒なことをおもいついたものだな。と思うけど、作り終わった今は、作家として「やっと新しいスタートが切れそう」という気持ちになっている。
最初にPDF版を出した時、正直に言うと「お金」が欲しかった。
自分の作品で、商業誌の原稿料以外の収入源が欲しかったのだ。
今ももちろんお金は欲しい。
私は「自分が楽しければそれでいい」というタイプではない。「職業としての作家」という自意識が強い。
だけど、「お金が欲しい」という動機だけで出したものを、手に取ってもらえるほど世の中甘くはない。
だから、自分の作品について、もう一度きちんと考えてみた。
私は、読者に何を求められているのか。
私は「物語」として消費されるより、「作品」としての意味を求められている作家なのだと思う。
どちらが良い悪いじゃなくて、作家にも色々なタイプがいる。
私はエンターテイメントを作っているつもりで、ずっと漫画を描いてきた。でも、その割には、「キャラクター」と「物語」を作る力が圧倒的に弱い。
問いと思考が先にあって、そこから物語が生まれていく。でも、漫画は強いキャラクターが1人いれば成立してしまう読み物である。
作品集の編集のために、作品たちを振り返ってみて、私の作品の人物たちは「匿名性」が高いんだと、改めて思った。
それが私の作品の良さでもあり、弱点でもある。
人物としての生々しさよりも、「概念的な存在」としての役割を演じている。そんなふうに見える。
商業誌で苦労した。「キャラクター文化」だから。
昔からそうだったとは思うけど、「推し」という言葉が一般的な用語となった今は、特にそういう側面が強いと思う。
私はそういうものを嫌ってるわけではない。
やってみたい気持ちはいつもある。日本で「漫画家」として活躍したいなら、やらなきゃいけないし、やれるべきだと思う。
でも、何度挑戦しても、そこへの苦手意識は消えない。
この作品集の頃の作品は、まだ「私はやれるはず」という希望を抱いて、描いていたと思う。
いつか私にも、「名作」が描けるはず。「思想とエンターテイメントが両立した、おもしろい漫画が描けるはず。」
そういう思いがあった。
でも、今の私は、もう少し「等身大」でいたい。
自分がどんなタイプの作家なのかということを受け入れて、背伸びしてないものを作りたい。
そして、それが一番難しい。
「好きなもの自由に描いていい。」
そう言われることほど、作家として怖いものはない。
化けの皮が剥がれてしまうから。
私は、若くない。賢くない。狂気も孕んでない。性的に逸脱してるわけでもない。
「孤独と精神的な不安がないと描けない」なんて幻想だと気づいてしまった。
生活の安定と、創作の挑戦は、両立できる。
私はこれからも描く。
だけど、この作品集の章題のような、ネガティブな感情を燃料にしないと描けない自分からは、卒業できると思う。
「思う」と書いたけど、まだ先はわからない。
とりあえず、私は相変わらず理屈をこねながら、これからもやっていくと思う。
純粋なアーティストなんて、この世にいるもんか。
評価されたいし、作家として認められたい。
早く。